人と、音と、

THE VESPERSの告知、ライブレポート・写真
また、見たライブの話などを書き連ねてゆきます。告知もするよ。

音と、人と、をつなぐ繋ぎ目の話。


たまに、よくわからないこともぼやきます。

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2012.03.29 Thursday

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    2012.03.20 Tuesday

    奇跡の物語

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      お久しぶりでございます。
      母子ともに、無事退院してきて家でこのブログを更新しています。7
      しかし、育児はとても疲れます・・・。今も眠っている隙を狙って更新をしています。
      ようやく、コツをつかんできたような感じです。

      さて、このブログもおそらく最後の更新になるのではないでしょうか。
      Twitterを見て下さっている方は「あ、あの話だな」と感づかれているかと思います。(@xHesperusx)
      そう、出産のお話です。
      このブログを締めくくるにあたり、やはり気にかけてくださっている方もおられるやもしれないので
      最後にこのブログでこのお話をさせていただくことにしました。
      長くなるかとは思いますが、最後までお付き合いいただけたらとてもうれしいです。



      3月14日、世間はホワイトデーなどといわれている日。
      16時27分。体重4415グラム、身長56.3センチメートルの男の子が無事、産まれました。
      もちろん初産で、経膣分娩(自然分娩)での出産でした。

      もともと、かなり大きい子であるということは妊婦健診の時点で発覚していました。(最後の検診で先生は4009グラムとおっしゃってました)
      それゆえ予定日から1週間以上遅れるようなら、入院して陣痛を誘発していこうということになっていました。

      予定日から1週間後、案の定入院することになりました。


      12日、入院1日目。
      陣痛を促す薬(錠剤)を定期的に飲んでも、陣痛は来ず。
      夜になり、付き添ってくれていた母も帰った7時頃、緩やかな陣痛と共に破水。
      そこから個室に移ることになったので、母と旦那が来てくれることに。
      定期的に痛みが来るので、うつうつと10分程度はできてもきちんと寝ることができなかったということはあったのですが
      携帯を見ることができるくらいの余裕はあって、内心「あれ、意外と安産体質なんじゃないだろうか」とか考えていました。
      だがしかし、甘かったのです。

      13日、入院3日目朝10時。
      診察の結果、子宮口は3〜4センチ開いているということ。(10センチ開かないと分娩はできない)
      先が見えてきた、とほっとしていたのもつかの間、私はどうやら微弱陣痛(陣痛が弱く、弱い痛みが長く続く)の体質があるようなので
      きつめの陣痛促進剤を点滴します、と説明を受けました。

      12時。点滴開始。

      この点滴は、一歩間違えると危ない薬のようで機械で管理されていました。
      10ミリ/時から30分置きに20ミリ/時、30ミリ/時と入れる量が増やされていく。
      30ミリあたりから、かなり痛みがひどくなっていたもののおかまいなしに増やされる点滴。
      (ちなみに、これは最大120ミリまでふやされます)
      50ミリくらいになったときは絶叫していました。もう、増やしにこられるのが恐怖でしかなくてどこまで続くのかわからない恐怖感と眠れていない(食べれてもいない)疲労感で精神的にも体力的にももう精魂尽き果てていたのです。

      「もう、無理・・・」

      と弱音をはいたのは唯一この時だけでした。。


      夕方5時。この点滴は危険なものらしく、看護師さん先生が少ない時に使うと危ないので、ここで打ち切り。
      また明日、朝から点滴しましょうといわれ絶望していました。
      母がコンビニへ食べれそうな物を買いに行ってくれている間に、私と旦那でお腹の子に話しかけました。
      「お願いだから、もう出てきてくれないかな。もう、母ちゃん限界なんよ・・・」
      そんなことを言った気がします。
      それから30分くらいして、促進剤をうっていないはずなのにあまりにお腹が痛むので診察を受けることに。
      以下、その時の会話です。

      助産師さん「小泉さん、がんばりましたね」
      私「はい・・・(促進剤の痛みのことだと思っていた)」
      助産師さん「分娩室、移りましょうか」
      私「え?ええっと・・・え?」
      助産師さん「子宮口、8センチになってます^^お部屋、移りましょう」
      なんといきなり子宮口は8センチになっていたのです・・・!!
      どうやら、うちの子は私のお願いをきいてくれたようでした。
      もうこの時が一番泣いたと思います。涙が止まらなくて、なんていい子なんだ、なんて奇跡なんだと思いました。

      夜7時、分娩室へ。
      ゴールが見えると、本当に楽な気持ちになりました。何も食べる気にもなれなかったのですが、ぱくぱくと糖分(エネルギーが必要だったので)をとっていました。
      分娩室では、音楽を流していたことで時間がたつのも苦ではなかったのを覚えています。
      この点は、本当に音楽に恵まれた環境にいてよかったと思いました。

      朝8時。
      だんだんと、おしりの痛さが耐えられなくなってきました。
      出産を経験した方ならわかると思うのですが、おしりが痛くなるのです。
      いやむしろ、おしりから何かでてくる感覚なのです。
      そして、それを時がくる(子宮口が10センチになる)までは止めなくてはいけない(いきんでしまうと、その時点で子宮口が固まってしまうらしいです)
      それがまたつらい・・・。
      さらにさらに、普通の分娩では赤ちゃんはおしりの方を向いて(下を向いて)産まれるのですが
      私の子は何を思ったのか上を向いて産まれようとしているしまつ・・・。
      上を向いて産まれると、通ってくるところが狭いらしく
      小さな子なら通れなくはないのですが、なんせうちの子は大きい・・・。
      そしてその上を向いている関係で、余計におしりが圧迫されて痛んでいる、という状況でした。
      「点滴いれて、陣痛起こしましょう」
      結局、点滴を打たれることになったのですが、もうその頃にはそんな痛みはどの痛みかわからない状況でした。笑
      (ちなみに、なぜ陣痛を起こすのかというと、陣痛は定期的にくるのですがその痛んでいる時に、赤ちゃんはドリル状に出てこようとしているのだそうです)


      昼12時。
      まだ、赤ちゃんは下を向いてはくれていませんでした。
      ここで、私が発熱。37.8度になっており、感染症の疑いがでてきました。(破水すると、そこから菌が入ってくるのです)
      先生「小泉さん、16時になってもだめやったら帝王切開に移っていいかな」
      基本的に帝王切開を勧めない先生がそう言われたので
      「あ、それが赤ちゃんのタイムリミットなんだ。赤ちゃんの命を優先しないといけない。」と思い、
      手術に関する説明は旦那が受けてくれて、陣痛に悶えながらサインをしました。

      私は経腟分娩にこだわっていました。
      とある人に「『生み』の苦しみは、生み出すことを経験したことのある人にしかかわらないものだよ」と言われたことがありました。
      「生み出す」ことをしている人たちの支えをずっとしてきた私です。
      「生み出す」ということを知りたかった。
      しかし、帝王切開となると、後々はとても苦しいけれど「生み」の苦しみは味わうことができない。
      そういう理由で、私はできれば自然分娩したかったのです。

      そうして、ギリギリまで待ってみることになりました。
      あとから聞いた話ですが、先生は入院した時点で、もし私が「帝王切開したい」と言ったら
      帝王切開になる予定だったそうです。
      お産が終わった後に、私が「生みの苦しみを味わっておきたかった」という話をすると
      「今の世代の人らに聞かせたい話やわー」とほめられました。笑(ちなみに先生は30代前半くらいの若い男の先生です)


      午後2時。
      もう、限界がきました。
      助産師さんに、「いきんでいいですか?もうだめです。」ときっぱりと言いました。
      人間、限界状態になると初対面の人にでも強気になれるものです。笑
      すると、「少しずついきんでみて」とお許しが・・・!
      おそらく帝王切開も考え始められていたので、最悪そうして産むことができると考えられたのかと思います。
      陣痛が来るたびにいきんで、休んでを繰り返すこと1時間。(ちなみにここだけの話、眠気も限界だったので陣痛が来ない間はうとうとしてました・・・私ってちょっとすごい。笑)

      先生「いけそうやね!」

      なんと、帝王切開のリミットギリギリになって子宮口は最大に、そして赤ちゃんは無事下を向いてくれているということでした・・・!
      本当に、生まれる前から親思いの優しい子でした。


      そしてそこから分娩体制に。
      いきんで、休んで、を繰り返し
      ついに頭が・・・!
      ようやく終わりかと思ったその瞬間
      「体が出ない!頭でてるからいそいで!」
      そう、おなかの中で大きくなりすぎて肩でひっかかってしまったのです。
      頭が出てしまった以上、低酸素状態になってしまうので、一刻を争う事態となりました。
      早く体をださないといけない・・・。
      「小泉さんもうちょっと頑張って!」
      そんなもん、頑張るしかない!といきむもなかなかでてくれず。
      先生もひっぱってはくれるのですがなんにせよ男手がたりない状態。
      あれまあれまといううちに最初5人程度だった分娩室に15人くらいの人が。
      リアル救命救急でした。笑
      その時、普段は忙しくされてる産婦人科の部長先生が、たまたまナースステーションにいて
      奇跡的にも、かけつけてくれました。
      「回らない椅子ある!?」「こっちにあります!!」「こっちもってきて!はやく!」
      そして、おもむろに部長先生はその椅子に乗ると、私の下腹部を押しました・・・!
      全体重かかってるんじゃないかというくらいの勢いで。。(小柄な先生だったので)
      ちなみに、頭がでてからここまでわずか1分足らず。
      そして、午後4時27分。
      無事に出てきましたが、泣いてはくれませんでした。
      NICUの先生が見てくださり、しばらくすると
      「おぎゃあ」
      ここで、ようやく「終わったんだ。無事に、生まれてくれたんだ。」と旦那とともに涙を流しました。
      出るときに鎖骨を骨折したのと、低酸素状態で生まれたのとですぐにNICUに運ばれることになりましたが
      なにはともあれ、いろいろな奇跡が重なり、無事この子を産むことができました。

      名前は「隼人(はやと)」

      いろいろ悩みましたが、いざ会ってみると「これだな」と感じました。

      それからというもの、黄疸がでて光線治療をしたりといろいろあったのですが
      今ではすっかり元気です。
      よく寝て、よく飲んで。
      あまり意味不明なことで泣かない子なので助かっています。
      わかりやすい子です。(そういうところは私に似てるのかな・・・)
      またみなさんにお見せできる機会がどこかにあるはずです。
      その時は、どうか名前を呼んで、笑いかけてやってください。


      長々と、お付き合いいただき、ありがとうございました。
      もはや、自身の記録みたいになってしましました・・・
      それでは、またどこかでお会いしましょう。

      小泉 唯

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      2012.03.29 Thursday

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